生まれ育った土地を愛する人をつくる。
私たちは、これが祭りの本質だと思っています。
祗園山笠という祭りは、流(ながれ)という単位があり、
それを構成するのは、人のぬくもりを感じられる町という単位です。
東流(ひがしながれ)で言えば、
- 御供所一区
- 御供所三区
- 御供所四区
- 東長寺新道
- 奥の堂町
- 金屋小路
- 上桶屋町
- 下桶屋町
- 北船町
- 上普賢堂町
- 下普賢堂町
- 普賢堂
- 魚町
- 上東町
- 下東町
- 上浜口町
- 中浜口町
- 鏡町
- 駅前
- 堅粕町
我々『奥の堂(おくのどう)』は上記のとおり、東流を構成する20カ町の中のひとつの町です。
その中で、様々な仕事、立場、世代を生きている人々が利害関係を乗り越えて力を結集し、大きな祭りが運営されています。
子供達にとっては、怖く、優しいおじさんがいたり、
若者にとっては、小さな頃から厳しくもあたたかい目で見守ってくださった大人達がいたり、
その土地をしっかりと力強く守ってくださった長老たちがいらっしゃる。
そんな町の中で育った者にとって、町を離れたとしても、間違った事をしたとしても、拘り無く受け入れてくれる場所がある。
「今年は、山(やま)出るとや?」と。
帰ってこいと言ってくれる場所がある。
これは、幸せな事です。
いつか、戻ろう、戻りたいと思う、そんな記憶に残る故郷があるのは幸せな事です。
自分のルーツとなるものがある。誇れるものがあると言える人々をつくってゆく。
おそらく、それが、祭りの本質なのです。
いろいろな、世知辛い、間違いを許さない世の中で、心の寄りどころを人々が失いがちな世の中だからこそ、故郷のあたたかさは、人の心の中で育まれてゆき、それぞれが力強く他人を支える力にもなってゆくのではないでしょうか。
皆が、子供の頃のように、こだわりなく全てを受け入れ、奉納のための祭りに参加する。
私たちは、そんな人々がつくり上げて行く生活のあたたかさを文化と呼びたい。
社会にこれから出てゆく子供たちを育み、傷ついた人を深く優しく、時には厳しく受け止めてくれる故郷づくりを、山笠を通してつくり上げてゆく。
それが、我々の博多の町文化であり続けてくれることを願ってやみません。
そのためにも、山笠の本質は何か?
我々は、常にそう問いかける事を忘れてはならないのです。
そして、忘れていないからこそ、770年経った今でもこの伝統が続いているのです。
博多祗園山笠が、重要無形文化財の認定を受けたからといって、ずっと頑に、すべてを変えずに走り続ける事ができたわけではありませんでした。
770年も続いた山笠は、少しずつ世の中と調整をとりながら僅かながら変わって参りました。そして、先人達が考え抜いて創り上げてきた変わらぬ本質は、より研ぎすまされて今も活きていると信じております。